minonarukiのブログ

いろいろと心に残る印象的な日常を表現してみたいと思います。

テレビ番組を考えなくてはいけない

最近、どこそこかで火事が多い。しかも、全国で発生した火事がとてもニュースになっている。


2階建てやひとりくらしの高齢者宅は火事になりやすいといえるのだろか?


男性よりも女性の方が長生きする確率が高いといわれている。それで、もし自分がひとりくらしをすることになれば、と想像するだけでも心細い気がしてくる。


ひとり暮らしというと、少しでも動けるうちはまだしもだんだんと足が弱くなるころにはまわりの家族も心配が絶えなくなるかもしれない。


ただ、高齢者施設に入るにはお金もかかるし、入ってみないとその施設になじめるかどうかもわからないところは多い。


ひとり暮らしでも身近なところに子どもがいるとか、訪問介護を受けられることがあればそれはそれでいいかもしれない。


「ひとり暮らしができる」と思ってはみても単純に来訪者は少なく、とても孤独を感じるだろう。


何か趣味でもあればいいけれど、それも歳をとるたび虚無的な感じになるかもしれない。


テレビもいいけれど、ときどき親戚が遊びに来てくれるのは嬉しいかもしれない。


「日本人は長生きをするようになった」といわれ、90歳を過ぎてもいまだに元気でいるお年寄りが多くなってきた。


10年くらい前は病院でも90歳を過ぎていることで天然記念物のような目で見られることも多かったけれど、今ではテレビなどでも人気のサプリなどを使いながら、好きなことをしているお年よりも多い。


そんなお年よりたちを影で支えているのは、働きざかりの中高年、もしくは若者、または小、中、高校生、専門学校生、大学生などといえるかも。


それは、幼稚園や保育園などでも、むかしはなかった事件や事故などを多く目にするようになってきたということ。


高齢者を支えるためにさまざまな社会的な負荷をかけられて、それは表向きには人知れないところもあり、誰に相談しても解決につながらないところも多くなってきているのかも。


でも、社会のそんなイヤな面も教育とか、モラルとか、常識、ファッションとして置き換えられてしまう男性、女性としての在り方などは見ていて「やはりファッションなのだから人間はいつまでも同じことは好まないだろ」とどちらともいえない感じになってしまう。


では、いったいどうしたらよいというのだろう?


むかしの懐かしきテレビは足付き




家族体系ということばがあるとすれば、やはりお父さん、お母さんを大事にするということもあるだろ。


また、職場であれば家族的な雰囲気で・・。とかそれぞれのスタイルがあってうまくいっているところはうらやましい限りかもしれない。


結局、子どもたちを家庭から社会に羽ばたかせるときにいろいろなことに抵抗力をつけられているかどうかも話題になってしまうかも。


「社会に出たらどうなんだよ。」とか「イヤなことがあったらいつでも帰ってきていいんだよ」とか・・。


なので、子どもたちの家庭での育ち方というものがとても大切になるということがわかってくる。


昔は、教育ということをとても大切にした時代があったみたいで「詰め込み教育」とかワードもあったけれど子どもたちがとても大事にされているようで悪い気はしないものだった。


最近の世の中の乱れは、やっぱりどう考えても解決につながるにはほど遠いとしかいいようがないのかも。


自分がまだ子どもだったころ、親からいわれたことに「犬をほんとうに可愛く思うのであれば、自分の持っている食べ物などを半分っこにして与えなくてはいけないよ」といわれたことがあった。


でも、そのころは犬は家の中には入れず、外につながれていてとても家族同様とも言えなかったけれど、親の言う言葉としては矛盾が多かったといえるし。


なので、室内犬を飼うところや猫を家の中で飼えるお宅はとてもうらやましいところもある。


社会とは矛盾だらけの世界で、そこで家族をつくり、どうだとか、こうだとか自分や家族をだましつつ生きてきたのが時代の変遷ともいえるのだろか?


そもそも、生きていく上では「自分」という表現はなんとも抵抗感が感じられず、うまく川や海の波に乗って沈まないように漂っているイメージだ。


世にある、ブログとかいうものには自分を表現しながら自分の「言いたい満足感」見る側の「見たい満足感」が充満しているといえようか。


ブログも書かない自分たちの親たちの時代の出来事を聞くこともあるけれど、一皮むくととてもハードであったと想像できる。


それで、今の自分たちの子どもの先々を考えると親の時代とリンクしてしまうこともあり、想像しただけでも寒々しい気がする。


一番、よかったのは自分たちが過ごしてきた「昭和の時代」と思うことは多いけれど、そのときには決してそんなことは考えず、自分の不満なところだけ目だってしまっているかのようだった。


そのことでテレビ中心で何でもテレビに頼ってしまってきたことは多くなってきている。


海の向こうで戦争が起きても、テレビがなければだれもそれを知ることはなかったはずで・・。


なので、今自分たちが不幸だと思うことがあれば「テレビ見すぎ!」ということかもしれない。


テレビの中の虚像ばかりを追ってしまって、実際の人間がどれだけのことができるかということについてはそれはわからない。


だから、テレビ見すぎ!テレビ信じすぎ!ということでしょう。


ただ、ネットのユーチューブなどは選んで見れるから押しつけにはならない。ならないけれどもそれをそのまま信じてしまうのはとても危険が多いし。


家族的に楽しめるホームドラマがもっとあればいいかと思う。朝ドラがあり、それと比較できるような他局の番組が昔はあった。


NHKの悪口ばかり言っても始まらないということでしょう。ただ、時代劇ばかり多すぎるのはイヤでしょう。いろいろ振り回すのはもうヤメにしないといけないでしょう。